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おばあちゃんへ

 

 

 

まずはこちらをお読みください。

 

 

 

この時に決意して青髪にしたのですが

痛みすぎた上に大変なことになり

一旦、シルバーヘアーになりました。

 

 

来年のお正月くらいには綺麗なブルーになるかな〜

なんて思っていたのですが

 

 

2024年10月8日

祖母は85歳で亡くなりました。

 

 

もう20年近く透析をしていて

最初の頃は通院や

自宅で4時間おきに透析を自分でやる体力がありましたが

だんだんと車椅子生活になり

今年に入ってからは通院していた病院ではない病院へ

リハビリも兼ねて転院し、入院中でした。

 

 

その週は食欲がなかったそうで

高齢者の肺炎は食欲がないだけが症状のこともあり

なかなか発症に気がつかないことが多いそうです。

 

 

一緒に住んでいた病院へ母が駆けつけると

祖母は起き上がりたいと言いながら何かを話していたそうですが

血圧が下がってしまうので

寝たままでいないといけなかったそうです。

 

 

この前、私がお見舞いに行った時には

嬉しそうにしている顔が見れたので

13日の日曜日は母の誕生日ということもあり、

一時帰宅して自宅でみんなで過ごそうと思っていた矢先でした。

 

 

 

10月8日私は次男の体調不良により

自宅でお仕事をさせていただいていました。

 

 

その日の夜に母から祖母の具合が悪いと連絡があり

水曜日は定休日なので朝イチでお見舞いに行きたい

と話したところ

血圧が下がって透析が中断になってしまったから

水曜日に透析するから面会はできないかも

と言われました。

 

 

透析して、木金頑張ってくれたら

土曜日にお見舞いに行って

日曜日はお家で過ごそうねと祈りながら

私は眠りにつきました。

 

 

朝、起きてたくさん来ているラインを開くと

一度は病院から帰宅した母へ

再度病院から連絡が入り

駆けつけた時にはもう

祖母は動かなくなっていたという内容がありました。

 

急いで子供達を学校へ見送ってから

1人で泣きながら実家に向かいました。

 

 

おばあちゃんはすごく綺麗で

安らかな顔をしていました。

 

 

まだ少し、首の後ろと頬が暖かくて

おばあちゃんはいつも体がしゃっこい(冷たい)んだ

と言ってよくコタツに入っていたのですが

まだぬくもりを感じられたので

しばらく一緒に過ごしました。

 

 

腐敗が進んでしまうので

冷房の効いた部屋にいる祖母の体は

だんだんと冷えてきました。

 

 

実家に猫がいるのですが

祖母にいつも寄り添っていたので

いつもなら暖かいところや人気のないところを好むのに

寒い部屋の中でずっと

祖母や私の近くにいてくれました。

 

 

少し前に実家の犬も死んでしまったので

祖母はずっと犬に会いたいと言っていたので

なかなか死んでしまったことを言えずにいました。

 

 

なんだか、犬が祖母を連れて行ってしまうような気がしたので

なかなか言えずにいました。

 

 

まだ猫は病気もなく元気なので

長生きしてくれることを祈ります。

 

 

母は、ずっと祖母の看病をしてきたので

大変だったと思いますが

私が生まれる前から祖母は母と親子だったわけで

 

私は祖母が大好きだけど

母の方が私なんかよりも

祖母との思い出はたくさんあるはずなのです。

 

それでも母は、

私がおばあちゃんこなのをわかってくれていて

身につけていたものや持ち帰りたいものを持って帰っていいよと

譲ってくれました。

喪主は流石に母ですが、献杯の挨拶や

一緒に霊柩車に乗るのも私でした。

遺影も私が選んで背景も桜の木に変えて制作しました。

 

 

祖母は派手が好きでした。

家族葬だったこともあり

孫たちは皆、明るい髪の毛で参列しました。

 

そして祖母のメイクも

妹と2人でしてあげました。

 

メイクしてあげると

もう血が通っていないということがわかってしまい

また悲しみに襲われました。

 

 

たくさんのお花と好きな人たちに囲まれて

おばあちゃんの最後は幸せだったと思います。

 

 

早くに祖父が亡くなって

それからずっと1人だったおばあちゃんとは

私が中学生の頃、

2人でタクシーに乗って駅ビルに行ったり

喫茶店に行ったり

プリクラを撮ったり

大好きなカラオケもおばあちゃん譲りなので

よく一緒にカラオケもしていました。

 

 

 

最近は

「百円でお化粧品が買えるの?」

「今度来る時に買ってきて欲しいな」

「おばあちゃんも元気な時にやりたい」

 

 

と言っていたので

すぐに買ってきて渡そうと思っていたところ

入院してしまったので渡せずにいました。

 

 

思いだすとたくさんの思い出があってキリがないですが、

とにかくおばあちゃんが大好きでした。

 

可愛くておしゃれで

昔のおばあちゃんの若い頃の写真を見ていたら

派手好きなのがわかって

みんなでほっこりしました。

 

 

写真に写る周りの人たちは黒とか白とか

淡い色を着ている中で

祖母は1人ド派手な赤いニットに

サングラスをかけていました。笑

 

 

私が実家に帰るたびに

ファッションを褒めてくれたり

メイクを褒めてくれていたのは

本当に好みだったのだなぁと思いました。

 

 

尚更、最後に会えた入院時の時に

黒髪ナチュラルメイクで行ったことが悔やまれます。

(気づいてもらえなかったし)

 

おばあちゃんはきっとどこかでは見ててくれていると思うので

私はずっとおばあちゃんの好みのままのしおりでありたいと思いました。

 

 

最後にしおりと呼んでくれたのは

多分お正月でしたが

私の脳内にはいつもおばあちゃんの声があります。

 

 

昔話や旅行の話、美味しそうなものの話など

たくさんしたね。

 

でも、もっとたくさん話したかったなー!

 

 

これからはおじいいちゃんと犬と仲良くいてね。

やっとおじいちゃんと会えるね。

 

もっともっと、

おばあちゃん孝行、親孝行できるように

人としてたくさん成長したい

 

そう思っています。

 

 

みなさんも、

今を大切にして欲しいです。

 

 

本当に今は今しかないので。

 

 

後悔しても後悔しきれないことはたくさんあるので。

 

 

1日でも

悔いのないように生きたいと思いました。

 

 

祖父と祖母がいなければ

母が生まれなかった

 

 

母が父と出会わなければ

私は生まれなかった

 

 

全ての奇跡に感謝して生きていきます。

 

 

私に関わっている全ての皆様

いつもありがとうございます。

 

 

未熟な部分も多々ありますが

皆様に支えられて

これからも強く生きていきます。

 

 

長い文章なのに最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

おばあちゃんいつまでも大好きだよー!!

 

 

キツくなくて、むくんでも大丈夫で

足が冷えない靴下を1月1日の誕生日にあげてから

冬場に毎日履いてくれてありがとう。

 

これからの時期にも履いて欲しいから

おばあちゃんの足元に一緒に添えました。

 

これからもたくさん履いてね。

 

貰ってからすぐに

「嬉しいこういうの欲しかったの」

と言って履いてくれた時の写真です。

 

 

 

 

本日も、お仕事頑張ります。

 

 

 

ドリームクリエイト

田村